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憲法改正は必要なのか(15)

昨日、この国で一番偉いのは権力者じゃなくて私たち主権者国民様だ、というお話をしました。
なんでこの話をしたかというと、ふとある国会議員のことを思い出したからです。
京都府選挙区選出の西田昌司議員。一部メディアで「国民主権と聞くと国民が一番偉いのだと思っている人が多すぎる」旨の発言をしたと伝えられています。結構このくだりは護憲派(というか、左派の方々)の間に広まっていて、とんでもない議員がいる、という話になっています。自民党の大物議員の中でもこの種の発言をする人が目立ちますね。
私は正直なところ西田議員が好きではないんだけれど、一応彼の名誉のために説明しておくと、彼は自身の動画チャンネルの中でこの発言のことを説明していて、講演中の一部が切り取られてその言葉が独り歩きしていると釈明しています。彼の真意は、日本は独立運動を経験していない、ゆえに国民自らの手で自由の権利を勝ち取ったわけではない。
(そのとおり) 我が国においては神の時代から現代まで長い歴史の上に先祖が守り育ててきた権利が主権である、つまり相続権としての主権である。(私には理解不能)
多分これは長い間日本という国が守り育ててきた伝統的な価値観を大切にしようということを言いたい(そのように説明しています)わけですが、それと主権が国民にあるのか権力者にあるのか、この国で誰が一番偉いのかという話とは全く別の話です。
日本が誇る2600年の歴史、心の美しさ、伝統的価値観ーこのくだりは改憲派、特に保守系議員に多く見られる主張で、彼らの主張を支える精神的支柱なわけですが(それを占領政策でGHQに壊された、と言いたいわけですね)逆にそれが憲法改正の必要性をうまく説明できない障害になっているように思います。
明日につづく。

【ご参考】西田議員の動画チャンネルです 週刊西田 一問一答 https://www.youtube.com/watch?v=EMFPkgAdCWA

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