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憲法改正は必要か(36)

西山記者の社説の続きを見ていきましょう。長文で読みづらいと思うので箇条書きにまとめ直します
(一部文章変更しています)。

・天皇が日本の君主であるといふことには、われらは固より異議はない。
・ただそれは、天皇を日本国民の形式的、儀礼的の代表者と考へる意味においてである。
・その意味において、国家最高最終の意思決定者であり、また対外的には条約の締結名義者であるとする天皇ならばよい。
・しかし天皇の自由意志の発動を認めるといふのであれば、それは将来天皇に責任を帰するやうな議論の行はれる事態の生ずるおそれもある。
・この改正案では、さうした自由意思の発動のやうなことは固より希望してゐないのかも知れない。
・しかしそれならばそれで、かかる天皇の地位を明文化しておく必要がある。
・そうでなければ将来の天皇が独裁政治を企図するものによつて利用されぬを保し難いのである。

結局要点をまとめると、
天皇が統治権を総覧するという天皇大権は(これまでと同じく)形式的・儀礼的なものであるべきで、それをしっかり文章で盛り込むべきである。
天皇の地位が不明確なこの改正案では戦前の一部軍国主義者のような独裁政治が復活しかねない。
つまり… この憲法では何かあった際に天皇を守ることができませんよ、という批判をしているわけです。
日本が焼け野原となり、敗戦となっても、日本人は天皇のことを本当に大切に思っていたんですね。

これまで書いてきたとおり、アメリカは終戦前から天皇の責任を追求しない方針を持っていましたが、マッカーサーがワシントンに対し「天皇制を廃止するなら日本に100万人の軍隊の駐留が必要になる」旨の発言をしたのはあながち政治的意図だけではないように思います。

ではまた明日。

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