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憲法改正は必要か(44)

以前私がソウルに行ったときのこと。日本が朝鮮を統治していた時代に日本語教育を受けた、という老人と同じ飛行機に乗り合わせました。
折しも日韓の貿易摩擦がヒートアップしていた時期、私はその老人に
「日本による統治時代を今振り返ってどう思いますか?」
「今の日韓摩擦をどう考えていますか?」
という質問をしました。

老人は
「日本語による教育は特別なものではなかったし、普通の教育だったと受け止めている。何かをいやいや強制されたとか、そういう記憶もないね。今は過去の歴史問題を火種にして何かと摩擦が起きているけれど、あの時代を経験した自分としては、日本と韓国それぞれ良いことも悪いこともお互い乗り越えて仲良く協力し合うことが大切で前向きだと思うよ」
と答えてくれました。(ソウルに行ってみると逆に若い人のほうが日本に対して嫌悪感があったなあ…と記憶しています) 

一方、日韓の歴史問題になると日本側、特にネトウヨ諸君たちから「日本統治は韓国の発展に寄与したのだ!」という主張が出るわけですが、実際国会の場でこの種の発言をして韓国から猛反発を食らった議員もいました。
韓国の発展に寄与したかどうかという評価の問題は別として、重要なのは言語を強制したことです。
「自国の言葉を奪われる」というのは奪われた側にしてみれば相当な遺恨となって残るようですね。

脱線してしまいますが、これに関連して私がジョージア(旧ソ連・グルジア共和国)にいたときのことをお話します。
私は首都トビリシにあるソビエト占領博物館を訪れたのですが、そこは旧ソ連に対する憎悪に満ちた展示内容になっているわけです。
つい30年ちょっと前までソ連の一員だったのに、なぜここまで敵意をあらわにするのか。
歴史的経緯としては、今のジョージアはグルジア国として独立しながらもすぐボルシェビキにやっつけられてソ連の一共和国として引き込まれてしまった。反発した結果多くの国民が殺害され、以後ソ連の色に染められていくわけです。
実はこの博物館の展示内容を貫いているのは、言葉(グルジア語)を奪われロシア語を矯正された屈辱でした。

話が逸れて言葉のお話になってしまいましたが、どうして韓国の話を持ち出したのか、これは明日またご説明します。

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