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憲法改正は必要か(56)

ちょっと今日は話題を変えてみようと思います。もちろん憲法改正問題に絡んで、ですけどね。
先日触れたように、極東委員会が立ち上がったのが昭和21年2月26日、GHQ案の受け入れと憲法改正の突貫作業が閣議決定されたのも昭和21年2月26日。
2月26日と言えば、そう、あの日ですね。

この事件については皆さん学校で習ったはずですが、今一度おさらいを。

昭和11年2月26日未明、作家・北一輝らの思想に傾倒(裁判ではそうなっている)した陸軍青年将校らが政府閣僚の自宅などを襲撃し
高橋是清大蔵大臣ほか計6名を殺害、政府の主要施設を占拠して昭和維新の断行を訴えた軍事クーデターである

教科書チックに一言で言うとこんな感じでしょうか。
経済特に農村の疲弊や政治の腐敗を一掃して天皇に近い軍事政権を作ろうと画策したわけですね…
ところが天皇の逆鱗に触れ、反乱軍とされた青年将校らは逮捕、軍法会議にかけられて19名が銃殺刑に処せられています。

戦後、それまで隠されていた事実が明らかとなって、陸軍皇道派のドン、真崎甚三郎大将を軍事政権の首相に担ぎ上げるため
同じく皇道派のドン、荒木貞夫大将やマレーの虎・山下奉文大将、事件当時の戒厳司令官として事件鎮圧にあたった香椎浩平中将らが画策して起こしたことが明らかになっています。
(詳しくはYou Tubeで「二・二六事件 消された真実」と検索すれば観ることができます。)

どうしてこの二・二六事件を取り上げたかと言うと、これまで統帥権の独立が軍の暴走を招いた、という事実を繰り返し述べてきたわけですが
それにしてもなぜ誰も何も言えなかったのか。軍が政治に深く関与してきたと言っても。全く歯止めが効かなかったのはなぜなのか、
先々憲法9条の改正問題を語る前に、今ゆっくりそれを考えておく必要があると思ったからです。

ちょっと何日か時間をとってこの二・二六事件を見ていこうと思います。

 

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