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憲法改正は必要か(58)

二・二六事件に話を戻しましょう。

そもそも二・二六事件が何故起きたのか、一昨日少し触れましたが、経済の停滞、特に農村の疲弊が激しく、事件に携わった兵士の中には
この農村出身者が少なからずいたこと、そして政治の堕落、庶民と金持ちとの格差の拡大、そういった矛盾が鬱積している中で、
天皇親政を主張する陸軍皇道派がこうした世の中の腐敗を一層して軍事政権を作ろうとしたわけですね。
青年将校にしてみればそれはまさしく「昭和維新」であり、腐敗勢力を一掃するという目的が合ったわけです。

結論から先にいうと、腐敗勢力を一掃しようとこのクーデターの絵を書いた首謀者そのものが、最も腐敗にまみれた軍人であったというとんでもない事件だったわけです。
昭和維新を断行しようと決起した青年将校は閣僚らの自宅などを襲って六名を殺害するわけですが、さすがにこれはまずかった。
重量閣僚らは「陛下の重臣」ですからね。天皇が激怒するは当然です。

絵を書いたのは先に触れた真崎甚三郎大将、荒木貞夫大将、山下奉文大将、香椎浩平中将、その他にも軍の大物が関与していたと推測されています。
彼らは事件を受けて宮中に集まり、事件の対応に当たることになるわけですが、その事件の対応に当たる彼らこそが首謀者だったわけです。
特に戒厳司令として処理にあたった香椎中将は様々な工作に奔走します。
青年将校たちは天皇から正しい行為と認めてもらい、天皇親政の内閣を実現できるよう、天皇の詔勅を待つわけですが、期待に反して天皇からは鎮圧せよとの命令が下るわけです。
宮中に集まっていた首謀者たちも事件対応を装いながら天皇のお言葉を待っていたのですが天皇のお言葉は期待とは逆でした。

結果鎮圧された青年将校らは逮捕され、彼らの精神的支柱であった思想家の北一輝が先導したのだ、と北一輝に責任をなすりつけ
自分たちは陸軍軍法会議で罪をかぶらぬよう誘導し、19人を処刑して軍法会議を閉廷してしまったわけです。
当然自分たちは無罪です。

先にご紹介したNHKの番組の中で、この事件に関わった人たちが「私たちはハメられたのだ」と話していたというくだりがあります。
その後半世紀の長きにわたって事実は封印されてきましたが、当事者たちはことの顛末ー首謀者が誰であり、どのように態度を変え、
どのようにトカゲの尻尾を切ったのか、真実をちゃんと知っていたわけです。

では、続きはまた明日。

 

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