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憲法改正は必要か(60)

改憲派の主張を2つ検証したところでちょっと中休みして二・二六事件のお話をしたんですけれども、これからお話を進めて行くにあたって寄り道ついでに確認しておきたいことがあります。

これまで時間をかけて「押し付け憲法論」の根拠や過程を時系列で見てきました。
また「自主憲法の制定」という言葉を紐解いて、その主張が可能なものか考えてきました。
前者で言えば、日本人の手による日本人オリジナルの憲法ではないという点において、形式的にも実質的にも押し付けられたものと
結論付けましたし、後者についても、自主憲法=天皇大権の復活と捉えた上で、明治憲法に似た憲法を作ることは可能だとしました。

誤解を招いてはいけないのでここではっきりさせておきたいのですが、前者については、だからといって憲法改正をしなければならないという理由にはならないし、
後者については、それが直ちに国民に受け入れられる問は思えないし、形式的・儀礼的とは言え天皇が内政全般にまで関与するというのは現実的ではないわけですね。
憲法改正が党是だといっても、改正することが自己目的化している現状ではちゃんとした議論も国民に対する説明もできないと思います。
要はこれまで検証してきた理論的根拠をしっかりまとめて、じゃあどうするの? という議論を護憲派とともに積み上げなきゃいけないということです。

護憲派はいろんな資料を引っ張り出してきて改憲派の主張を論破するのは得意だけれど、憲法のなにが問題でどのようにしていったら良いのか
という議論になるとゴケン!ゴケン!と叫ぶだけで土俵に上がろうとしない。

改憲派と護憲派がお互い心を開き、一緒になって改憲議論を深めていってほしい、と思う次第です。

 

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