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憲法改正は必要か(68)

昨日、一昨日お話した「日本の新憲法の再検討に関する規定」には日本国民の自由な意思(free will)という言葉が登場します。
憲法改正が本当に日本国民の自発的なものなのか、ということですね。
もちろんポツダム宣言中にもこの言葉は出てきますから、ポツダム宣言を踏まえてのことですが、もしマッカーサーが憲法改正案(GHQ案)というところまで踏み込まずに、松本委員会の案がそのまま極東委員会に提出されたらどうなっていたのだろうか… ふとそんなことを思い返しました。

私はこれまでの記事の中で、マッカーサー案がなかったら極東委員会にこっぴどくやられて、GHQ案よりもっと厳しい内容になっていたに違いない、だから押しつけといえどGHQ案をたたき台にしてよかったのではないか、という結論を出しました。
しかしこの「日本の新憲法の再検討に関する規定」の自由意志という言葉、そして規定の内容を読んでいると、もしかしたら、ですが、日本人によるオリジナルの憲法案は意外に受け入れてもらえたのではないか、そう思うのです。
もちろんポツダム宣言に反した箇所はダメだし、今の憲法第9条の内容はどちらにしても入れざるを得なかったと思いますけれども。
まあ、無意味な議論と言われるかもしれませんが、76年も前に時計の針を巻き戻してみることも改憲議論には必要だと私は思うのです。

それではなぜ憲法改正の気運が盛り上がらなかったのでしょうか。
明日はここを考えてみましょう。

 

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