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憲法改正は必要か(67)

極東委員会は日本に対して、国民投票で新憲法が日本国民の自由意志に基づいたものかを確認させようとしました。
しかし実際には当時の吉田茂首相は憲法改正に消極的で、憲法改正が発議されることもなく現在に至っているわけです。
国民の間に改正の気運が盛り上がっていないというのがその理由なんですが、実は立命館大学人文科学研究所紀要(96号)に掲載されている論文「50年代改憲論と新聞論説(1952-1957年)─中間報告─梶居佳広」(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no96_03.pdf)に興味深いことが書いてあります。
それによると
「1948年に表面化した極東委員会主導の憲法再検討に対する新聞の関心は極めて低かった。
すなわち社説で取り上げた新聞はごく一部に止まり、仮に社説で論じても大半が時期尚早論であった」(前掲P60)
のだそうです。
細かな部分では、ここは修正したほうが良い、これは廃止すべきだ、という主張があったものの、「何れの新聞も第9条(戦争放棄)は議論すべきポイントに入れていなかった」(前掲P60)というのは注目すべきですね。
この論文は新聞各紙の憲法に関する記述をつぶさに検証したものですが、新聞各紙は「憲法公布・施行時には改正支持をより明確にしており、結局全紙が日本国憲法を肯定するように」(前掲P60)なったのだそうです。
極東委員会としてはマッカーサーがゴリ押しして憲法作らせたという認識ですから、本当に日本人に受け入れられるものかどうかそこに関心があったのでしょうが、あえて極東委員会が再検討に乗り出さなかったのはこうした事情もあったと思います。

とにもかくにも、「憲法改正していい」「憲法を再検討するよう国民投票を行う」と極東委員会が決定したにもかかわらず何もしなかったのは日本側だった、ということです。

明日もこの続きを見ていきましょう。

 

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